制限

ずっと制限されることが大嫌いでした。

 

ま、制限されることが好きっていう人の方が少ないかな???

 

今まではとにかく制限されることを極端に嫌っていて、どちらかというと『制限を超える』ということに重きを置いて生きてきたのだけれど、最近、制限を意識しなくてはいけない出来事がいろいろあって、今までだったらそれってただのストレスでしかなかったのですが、ふと、「今までの自分の中の常識の逆をいってみよう」と、あえて制限を積極的に『いいものとして』取り入れてみることにしてみました。

 

いろんなことがあって全ては書ききれないのですが、小さなことでは例えばスペースの使い方とか。

 

この場所に入る量のモノしか持たない。なんていうのもそう。

(また片付けの話ですね(笑))

 

「仕方なく」制限するとただのストレスでしか無いのだけど、「前向きに・積極的に」制限してみたら、そのスペースに入る最小限のものに絞ろうと思うことで、本当に好きなものしか持たなくなるし(持てなくなる)、しかもそれを普段使いにして使っていかないといけなくなるので、必然的に『お気に入りだからこそあまり使わずにとって置いて結局新品同様のまま捨てることになる』というサイクルから抜け出すことにつながりつつあります。(まだ道半ば^^;)

 

 

このブログにも何度も書いている近藤麻里恵さんの『ときめきの片付け』に出会って片付けを始める1年ほど前、実は先に『断捨離』という言葉を生み出したやましたひでこさんのメソッドを元にお片づけをしたことがありました。

その時もある程度は片付いたのですが、彼女のメソッドにあった『持ち物の量を制限する』という発想がどうしても取り入れられなくてメソッド通りにはやりきれませんでした。

 

でも、今ならやましたさんの言わんとすることがよくわかる。

あえて『制限』を設けることで初めて見えてくる自分の中の本当の気持ち。

「本当に何が好きで本当は何が嫌いなのか」

 

自分の中のアンテナの精度が上がりました。

 

同じことが時間やお金の使い方なんかにもそのまま当てはまっていて、思った以上に、本当の自分の意思では無く惰性で選んでいる事柄が多かったんだなぁ〜と改めて発見。

 

『制限があるからこそ大事なことがより鮮明に見えてくる』

ちょっと目からウロコです。

 

でもね、この感覚になるまでに多分4〜5年かかってます。

 

今ここに書いてるようなことはやましたさんの『断捨離』の本に書いてあったんですよ、多分。

でも『制限されること』に極端に抵抗のあった当時の自分には全然響いてこなかったんですね。

 

その後、こんまりさんの『ときめきの片付け』を数回繰り返して徐々に物が少ない状態に慣れてきた今だからこそ、そういう心境になれたんだろうな。

 

そして『モノ』でそういう心境になれたことで、他のことにもそれがつながって。

 

 

 

人の概念が変わるまでにはある程度の道筋が必要ですね。

それでも、一歩踏み出せば、そしてまた次の一歩を一つずつ踏み出し続ければ、必ず変化は訪れるのですね。

 

人間って面白い。

 

 

 

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